家のことは母親が切り盛りし、しつけに厳しかった。
「絶対に間違ったことはするな」と言われ続けて育てられた。
母親のしつけからか何でもきちんとしなければ気が済まないという性格がはぐくまれた。
姉や兄は地元の集まりなどがあると団長などに選ばれて人を束ねる力があった。
ところがSは引っ込み思案であがり症。
とても今のSの姿を見つけることはできない。
理数系に強く、地元の名門、上田中学(現上田高校)の入学試験の面接に臨んだが「円の面積の公式」など得意のはずの理系の質問にうまく答えられず不合格となる。
「わかっていたけど頭がぼ−っとなってしまった」。
地元は蚕業が盛んだったため、小県蚕業学校に進学した。
蚕業学校ではなんとかしてあがり症を直そうと一念発起し弁論部に入った。
それでもなかなか人前で演説するのが苦手で、人を見ずに窓の外を見ながら演説することがあった。
経営者となったSが何の準備なしでも1時間や2時間は平気でスピーチするのとは大違いだ。
政治好きの父のもとには地元選出の代議士、Iが出入りしていた。
Iに「政治の勉強をしたい」と話したところ、「だったら経済を勉強しなければ駄目だ」とアドバイスを受けた。
実業学校というハンディがあったものの受験勉強に取り組んで中央大学法学部に入学したが、Iの言葉が頭に残っておりすぐに経済学部に転入した。
中大生になると東京のIの事務所に出入りするようになり、1年生の時から国会で傍聴する日々を過ごす一風変わった学生だった。
「Sはよく国会に行っている」という評判が学内で広まり全学の自治会の代議員になる。
「右だ左だ」という考えになっていなかったことから重要ポストの書記長に推されてしまったのだ。
2年生での書記長は中大建学以来初の出来事。
学生らの様々な意見が出る中でSはずっと聞き役に回った。
また書記長は自治会の予算、人事、企画などを受け持つ役回りで、企業で言えば総務・管理担当者に近い。
Sのサラリーマン人生の基礎が書記長で培われた。
また中大、東大、一橋、慶応、早稲田の5大学共同の「インターゼミ」に参加して近代経済学の議論を戦わせていた。
このころになると物事を論理的にしかも物怖じすることもなく議論の輪に加われるようになった。
子供のころから文章を書くことも好きだったため就職試験では読売新聞社を受けた。
筆記は通ったが、またしても最終面接で振り落とされた。
学生運動に手を染めていたので一般企業への就職は難しかった。
ただマスコミ志望は強く父親の紹介で雑誌「家の光」にすべりこむことになっていた。
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